「先生は厳しい事を言っています。」という、言葉になぜ気が付かなかったのだろう? 昨年11月に知人から 「病気で入院している息子が聞きたいので、CDを探して欲しい」と頼まれた。 それは、♪ この樹なんの樹、気になる樹~ ♪ で 有名な“日立の樹”のテーマ曲だった。 その時は、早速インターネットで調べて注文・発送手配をした。 土曜日の午後、その知人から電話があって「もう、今が山だ。」と言う。 知人の息子には5年以上も会っていなかったが、 彼は中学生の時に水泳部で、市民マスターズの大会で 実際、彼の名前を聞き、彼の泳ぎを見る機会があった。 その彼は4月に18歳になったばかりだった。 京浜急行線の「東銀座」で電車を降りて向かったのは、国立がんセンターだった。 時間は午後9時を回っていたが、小児病棟なので面会が出来た。 ベッドに横たわる彼にはもう意識がなかった。 去年11月に先生から「余命半年です。」と言われていたそうで 知人も奥方様も冷静に彼の事を思い出すかのように話をする。 奥方様の「もっと早く、病気に気が付いていれば・・・」と言ったのが、すべてだった。 親として子に先立たれるのが、どんなにつらいか言葉に言い表せない。 こんなに医療が発達した世の中なのに、まだ治療が出来ない病気がある。 こんな時、人間はすごく無力だというのを思い知らされる。 2年間に及ぶ闘病生活で彼の身体はすっかり痩せ細っていた。 仮に奇跡があるなら、それでも生き永らえて欲しいと思った。 「さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ。」 だから、さよならは言わない。